人が亡くなったら、どんな手順でするのかをご紹介します。
亡くなったと聞いてから、お通夜まで、
悲しみを感じる暇がない状態。
でしたが、最後に涙腺が崩壊しました。
●納棺の儀
お経を読んでもらってから、
布団をかぶって寝ていた遺体を、棺に移す作業です。
形だけですが、身体を拭いて、布団ごと持ち上げて棺に入れます。
そのあと、全員でお花を身体の周りに敷き詰めます。
三途の川を渡るときに必要なお金を入れるそうで、
紙に金額を書いて頭陀袋に入れて、棺に入れました。
関わりのある数字を入れようということになり、
50年以上使っていた電話番号の下4桁を書いて入れました。
2〇〇〇なので、2000万円問題もあるので、ちょうどいいんじゃないかと。
●火葬
さて、いよいよ火葬とお通夜の日です。
え?火葬?
そうです。
今まで東京で参加した事があるお通夜も葬式も、全部、棺桶があり、遺体を見ることができました。
そして、お通夜、葬式、全部終わってから火葬でした。
火葬が悲しみのクライマックスのはず。
ところが!
青森は、お通夜の前に、一番最初に火葬をしちゃうんです。
お骨にしてから、お通夜とお葬式をするのです。
これにはビックリでした!
火葬場に行くと、6個くらい火葬室?が並んでいます。
(ぜんぜんフル稼働してないじゃん!)とつぶやきつつ手順に従います。
遺体に対してお経を読んでもらい、その後いよいよ火葬です。
係の人は、敬礼?をして
「お時間になりましたので、これから火葬をさせていただきます」、
甥っ子が泣き始めたおかげで、悲しい気持ちが押し寄せてきました。
1時間半、待合室で待機。
呼び出し放送があり、お骨を拾いに行きました。
骨上げと呼ぶらしいです。
骨があちらこちら紫色になっていました。
弟が「そこが病気だったんだ」と言いました。
ずいぶん闘ってきたんだなあ、感じました。
※注
今検索したら、「病気の部分で、お骨の色が変わる」というのは嘘らしいです。
「棺に入れたものが色素が沈着しやすいもので、それがお骨についただけ」
担当者から、「燃えるもので、故人が好きだったものは、棺に入れられます」
ということだったので、お花の本や、他にもいくつかを棺に入れました。
それや、あと、お花の色素が原因で、お骨に色がつくらしいです。
●お通夜までの待ち時間で
火葬場を出たのが15時くらい?
その後、お骨を持って会館に戻ります。
少し休憩。
18時からお通夜です。
17時から会場でお出迎えというか、椅子に座って時間まで待っていてくれ、
とのこと。
15分前から動画が流れました。
妹が、母の写真を担当者に渡していました。
それを動画にしてくれていました。
その動画の中で、ある一枚の写真が出た瞬間、嗚咽が止まらなくなりました。
妹の結婚式のときで、感極まったような表情の写真です。
25年前だから、えーと、母が55歳のときです。
あれ!今の私と同じ歳だ!
泣き始めてからようやく、大きな悲しみ、喪失感を感じました。
それまでは、なんか、ずっと麻痺していたのが、ようやくほぐれたのでしょうか。
ようやく泣けた、という感覚です。
●号泣しながら
18時になり、お経が始まりました。
30〜40分くらい、とても心のこもったお経をあげていただけました。
最後に喪主の挨拶です。
例文を渡してもらっていましたので、
最初の挨拶文は、そのまま使いました。
そのあと、電話帳を頼りに連絡したときに、
みなさんに毎回聞かれたことを話しました。
・去年の5月3日に父が倒れた
・その数日後に、母が入院した
・肝臓が悪かったが、他に腫瘍や糖尿病などもあった
・母は余命が数ヶ月、父は1年と言われた
・1月4日に亡くなったので、よくがんばってくれた
・あの世では不自由のない身体で花を楽しんでほしい
・花が好きなので、戒名に「花」を入れてもらった
泣きながら、こんな事を話しました。
ああ、こんなに泣けるんだ、、
母とは年に1度会うかどうかくらいの頻度だった。
だから死に目には逢えないもんだと思っていましたし。
昨年5月には、母は近い将来亡くなるという心の準備は充分していたはず。
なのにこんなに悲しいんだ・・・・
号泣しながらあいさつをようやく終えました。
そのあと、青森ではお菓子と飲み物を振る舞います。
青森ではごはん類、お寿司は、出したりはしないそうです。
ちなみにそこで、
母の友人たちから、衝撃的な話を聴きました。
それは次回に。